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産後ケア飯など色々について。
毎日母乳がきちんと出るように一応和食を心がけて作っています。
おかげで母乳もどっさり出ているようで娘の海もふがふがと飲んでいます。
飲んでいる様子はほんと癒される。
 
でも結局料理は妻の為とか子供の為というより、やっぱり自分が楽しくて作ってる。と思う。
自分がある程度楽しい事じゃないと続かない。
それが妻のため子の為になっているのがうれしい。
 
ストレス溜めて廻りにまき散らすくらいならしない方が良い。
なので我家はイライラした時ははっきりと相手にイライラしている。
と伝えます。
決めている訳じゃないけど。(決めるのは良くない!)
そしてお互い「そっか」と受け止める。
文句よりも言い訳よりもアドバイスよりもまずは受け止めると言う事が
とても大事。
だからと言っても喧嘩もする時もあるけれど、幸いそれほどお互い苛つく事も少なく、子育て繁忙期のわりにはまぁ平和なのかな。
 
自分の中で思っている事と言っている事している事が大きく食い違う事は、
自分も廻りもとても傷つける事だと思う。
我慢することが優しさではないと思う。
だからといって、なんでもかんでもぶちまけても何も解決しない。
我慢しないけど、ぶちまけない。
ではどうしたらいいか?それを考える事が健全なコミュニケーションを生むと思っています。
 
脱線。
 
もとい。
毎日の料理は慣れてもいないのでけっこう大変だけど、作り始めると仕事より夢中かも。
和食もだんだんなれて来てカツオだしのあの黄金色に癒されたり鉄のフライパンで
溜めた野菜の焦げ目にうっとりしたりとなんだかんだ日々楽しい。
ある日のご飯いろいろ。
 
・キノコと人参あんかけ豆腐
・白菜とあぶらふのお吸い物
・カブのサラダ
・人参と油揚げとこんにゃくと大豆のひじき
  
・義母に作ってもらった餃子
  
・白菜と人参とイカの干物と干し椎茸の中華丼
 
・明太子とむきえびのパスタ
 
・さつま揚げと人参と油揚げとこんにゃくの混ぜご飯の三つ葉乗せ
・タラの煮魚
・大根とちくわぶのみそ汁
 
・菜の花とカリフラワーのオレキエッテ
 
クリスマスに
ちょっとがんばって
・舞茸とほうれん草と牡蠣のグラタン
・セロリ切っただけ
・オニオンマヨサーモン
あと出産祝いで頂いた世界一美味しいブドウジュース。
と書いてあった。おいしい。
基本肉はもらう事でも無い以外はほぼ食べないので、和食でもこんなメニューばかり。
 
と、こんな毎日。
映画も見る時間もあったり晩酌もできたり、仕事もできたりでとても満足しています。
 
そして仕事は今年はレギュラーもすべて終了し暇です。
残す仕事は一つだけ!とてもやりがいのある仕事を頂いておりまして、
年明けてもまだまだかかるので出来上がったら是非紹介したい。
施設壁面などのイラストを描いております。
 
でも来年しばらくは主婦メインな模様。
お仕事大募集中です!
 
ドローイングを日常化させようとスケッチブック
メモ長を買い溜める。
山田塾で覚えた事を忘れないように!
 
最後、みさきとうみとはな。
女三人うまくやっているようです。
 
12月は坊主が走るのではなく、主夫が走りまくるのだ!と実感中。
海、現在生後3週間で4320gすくすくです。


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# by umi-tora | 2014-12-29 14:00 | むすめのこと
むすめ、退院してのこと。
おかげさまで、娘の海と妻は先日無事に退院を済ませました。
 
現在我家はペンギンのつがい状態で育児に励んでおります。
 
妻が巣で子を守り、夫は外へ買い出しやらご飯の調達やら洗濯やら掃除やら、なにやら。
これペンギンだ。って思った。
 
ペンギンだけど娘の部屋には売れ残りのパンダのペインティングをかけた。
落ちるといけないから絵の上から遠慮なく壁に向かってドリルでネジを打ち込む。
 
とっても気に入っているパンダちゃんだけど、ある出来事がありあまり良い思い出の無かったこのパンダちゃん、こうして日の目を見て嬉しく思う。
 
おしめは布おむつに。
娘が泣くと妻が替え、取り外すと外のテラスにバケツがありそこへ投入、それが溜まると夫ペンギンが予洗をし洗濯、畳んで妻の元へ。
この循環システム、布おむつシステムver 5.0も完成し、育児も軌道に。
布おむつほんとうに楽。
そして目標はおむつなしダイエット、、、ではなくおむつなし育児。
赤ちゃんがトイレをしそうな状況を把握し、おむつを外しそっと赤ちゃん用のおまるにセットする。
うまくいくとおむつ離れもいいらしく、本人も爽快と。とても難しいけど妻はチャレンジしています。
一回だけビギナーズラックで成功するもその後は成功なし。
ま、そこは気長に。。。
  
その娘の海は、驚くくらいおっぱいを良く飲んでよく眠る全く手のかからない子。
犬のはながとびらをどっかーんと蹴っても我々が大笑いしていてもまったく起きない。聴覚検査もしてあるので、耳は正常なはず。
生後2週間ではやくも肝が据わっている模様。
これは妻の遺伝子だねぜったいに。
なので妻もおっぱいをあげたいのに起きない娘を待つ状態。
「むねがはる〜」
と悶絶しながら。笑
こんだけ寝るなら良く育つな。
 
わたしが183cm
つま168cm
 
2mになってもおかしくない遺伝子を持った我が子。
しかし大きく育っても小さく育っても、これで良いんだわたしは。
と育てるつもり。
 
そしてずっと書けなかった命名用紙。
ただ描いてもつまらないので、わたくしがささっと描いてみた。
普段は自分なりの緻密にしか描けないし、それで良いと思っているけど、
娘には自由に生きてほしいので、できるだけ自由に思いっきり描いてみた。
妻は喜んでくれたのでよしとする。
一部妻の加筆付き。
そして今日やっと出生届けを出しに役所へ。
やっと何かの肩の荷が降りる。
 
そして本家のねこの海は、さっそくむすめの海のベッドを陣取る。
まぁ海のベッドだからおかしくない。
けどまぁ、今は遠慮して下さいね。
 
だっこしながら片手で一眼激写はなかなか難しい。。。
 
子供がこんなに可愛い生き物だとは思わなかった。
想像を遥かに超えて。
この嬉しさを胸のじんわりした部分で毎日受け止めています。
 
ただただ毎日が楽しい。

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# by umi-tora | 2014-12-22 13:18 | むすめのこと
娘の誕生について
昨晩無事に女の子産まれました!
 
産まれた子は3500gのとっても大きな女の子です。
 
昨日夕方頃本格的な陣痛が来て20時頃分娩室へ、21時半頃に出産でした。
子供も母親も元気です。
 
今回陣痛からずっと立ち会ったのですが、その日の午前中の検診で陣痛が起き、
「じつうきたよ〜、にゅういんだって〜」と連絡もらい
「そっか〜じんつうね〜」などという緊張感の無い会話
そして病院に行くと病室で元気そうな妻。
これならまだしばらく安静だね。とそそくさと仕事に戻るわたくし。
 
自宅に帰りふと我に返ると、そうだ!わたしには立ち会いの知識がまったくなかった!
電話で妻に言うと、「え?同意書に説明色々書いてあったの読んだ?」
「え?」
「えーー!」

 
気を失いそうになりながらも
ネットをさらっと調べるだけでも辛辣な意見がたくさん…
 
なにせ写真ぱっしゃぱしゃ撮ろうと思ってたのに、
ある医師の言葉には、分娩の場で写真を撮ろうなんて、必至に産もうとする母親と
必至に産まれようとする子供への冒涜だ。と書かれていた…。
写真撮ってるだけなんてそんなの立ち会いじゃない、見物だ!と…。
 
立ち会いとはただ一緒にいるだけではなく、母親の呼吸にあわせて色々な事をサポートするのが立ち会いというもの
、出産の場に居れなくても陣痛などで呼吸法や飲み物など、側でサポートすれば立派な立ち会いです。と。
呼吸法?えーなにそれー!と空元気で気を引き締める。
うまく立ち会える期待値現状0
 
そんな腑抜けのまま再度病院に戻ると陣痛室のベッドでうずくまる妻、一瞬たじろぐ私…。
な、なんだこれは??「こ、これが、じ、じんつ、う…」対照的だ!対照的すぎる!ジオンより連邦は30年遅れてるというのか…
これはまずいと引き出しからありったけの前向き心をひっぱりだし総動員。
点呼するももはやどの心も虫の返事…。いや虫の息…。
 
テニスボールで腰を押したり、指でおしたり、これ以上ないくらいの指押し師へと変貌するのでした。
陣痛の間隔もせばまるもそれほど強くはならず、苦しむ妻にもはやかける言葉もみつからなくなる。
ただただ指押し師のスキルを向上させるのが精一杯。
 
助産婦さんがそろそろかな?という合図で分娩室へ、わたしは両家族へ連絡し再度陣痛室で待っていろという指示のもと
陣痛室の分娩室入り口にいくと
かよわい
「ぎゃ…、ぎゃ…」
という声が…
え?!産まれたの!えー!!!
ってそんなわけも無いのに気が動転し分娩室のドアをあけ、隙間から
「ど、どーなってるんですか!!!???」
 
「出てっ!!」
 
と一喝。され尻込む…
 
そう妻の苦しむ声でした。
もはやそんな識別能力のなくなりただのでくの坊へと変身するのでした。
 
そして助産婦さんの合図で分娩室へ入り白衣を着、何度も何度も息む妻の後押しをせっせとし、水を出し、腰を押し、
 
「いいぞいいぞ」
 
「がんばれがんばれ」
 
とひたすら声をかける。
そうこれがサポート!これでいいのです、結局男側でできることは
こんなことくらいしかないのです。
おいネットではもっと適切なサポート例あっただろ!
 
妻はその後も必死に息んだり休んだり、しかしわたしと助産婦さんとはなんだかなごやかな会話が進み、サンダルを脱ぎ裸足に。
そして出産時はほとんどのお母さんが産道出口を切開するのですが、妻もぎりぎりまで切らないようにがんばりましたが、
最後は力つき、子供の髪の毛が見えて来て頭が少し出て来た頃に
 
「き、切って下さい…」と
 
その後出産医が登場し、オペ用のゴム手をした両手を胸の前に持ちあの外科医のスタイル。
そして神妙な表情で振り向き様に斜め肩口から産道を覗き込み
「切るよ」
と小さな一言。
緊張が走り、2度くらい、ちょん、ちょんとハサミかメスが入れる。
 
そこからはもう怒濤のクライマックス。
うめく妻、真剣な医師、見守る助産婦、そしてでくの坊(私)
 
頭が出ると、するする〜っとつぎつぎに体が現れ
 
「あたまでたよー」
「肩でたよー」
「ホラ出たよーーー」
 
わーーーーーーー。
 
無事に元気な女の子が出産されました。
すぐに妻のお腹の上に乗せてもらい二人でぺたぺた触ってみる。
 
その後へその緒などの処置をされ、またすぐに計測室へ。
 
突然呼ばれ計測室に入ると、
レコーダーに産まれてすぐに子供にメッセージを入れてくれる。
というジェスチャーでうながされメッセージをするわたくし。
 
そして奇麗にされ、計測をされ、おくるみに包んでもらい、ようやく抱くこの瞬間。
不思議な事になんの違和感も無く、ずっと前からこの子がいたような感覚。
そして今まで経験した事の無い、嬉しいような暖かいようなふんわりするような複雑に混ざった嬉しい気持ち。
この嬉しい気持ちは一生忘れないようにしたい。
 
そして妻へ子供を渡し、母子再開へ。
その後妻は縫合や手当をしてもらい、そのまま分娩台で数時間休息。
 
わたしはやっと来た写真パパの出番ということで、廊下の新生児閲覧窓からぱっしゃぱっしゃと
撮りまくる。
 
そしてその後病院の時間の規則で帰らされる。
 
こんな怒濤な半日でした。
 
これからはさらに本格的な怒濤な子育て毎日が待っています。
誰もがそうだと思いますが、僕にとっても楽しみなのです。
そりゃ大変で目も回るのは当然だと思うけど、そう言う事が自分にはとっても良い自分の足りないパーツのような気がしています。
そしてそうは思っても、子供は子供の人生、親は親の人生。それだけは間違えないように育てたいと思う。
 
自分が思う親が子供にできる事は
 
親自身が自分で自分を幸せにする、ということに責任を持ち向き合う事。
 
親同士が無理せずいつも笑っていられるという事、そして落ち込む時は落ち込むという感情を表現できる事。
 
子供が自分は自分のままで良い、自分が決めた事、自分がしたい事、
それは誰になんと言われようと、自分で責任を持てる事は自分で自信をもって決めれる事。
 
子供が自分の感情を表現したり言葉にできること。
 
そして一番大事な子供の自己肯定感が高まるように、親が常に子供の感情に寄り添い、子供の存在を認めてあげる事。
 
それだけ意識できたら十分なのだと思う。
そしてそれはシンプルだけどなかなか簡単な事ではなく、けれどそれを意識できる事が何より大事だと思う。
 
そんな思いで産まれた子は
 
「うみ」
 
という名前に。
 
「宍戸海」です。
 
よろしくお願いします。
 
知ってる人も多いとは思いますが、「海」とは
僕が13年苦楽を共にしてる、ねこに付けている名前です。
 
ねこの海は、海岸で産まれて間もなく兄弟一緒に捨てられていた捨て猫です。
海岸で出会ったので、「海」と名付けました。
僕自身がとても海の青さが好きだったのもその理由です。
 
兄妹4匹は引取れないと、毎日餌をやりに行くもある日一匹も居ない。
そしてか細い声が聞こえるシートの中から引っ張りだすと、兄妹で一番臆病な海でした。
 
ねこの海とはずっと自分が辛い時も楽しいときも、24時間毎日毎日一緒に居てくれて、沢山の愛情をわたしにかけてくれました。
そしてわたしも沢山の愛情をこれでもかとかけてきました。
どんな恋人より家族よりも沢山の愛情をかけてきました。
何よりも大事な存在です。
 
そして海はまだ元気です!
生きてます!
自分が一番何よりも大事な存在に付いている大事な名前、
この名前を、このねこの海と同じくらい愛する存在のわが娘に付けてあげたいと思いました。
 
いつかねこの海も死に、子供が大きくなった時は堂々と、
あなたの名前は、僕が何よりも大事だった存在のねこについていた名前をつけたのです。と伝えるつもりです。
 
それに対して娘がどんな反応をするかはまったくわかりません。
ねこの名前なんて。と思うかもしれない、もしくは大事な名前を付けてくれてありがとう。と言ってくれるかもしれない。
それは今はそれほど重要ではなく、ただの一つのこの先に訪れる結果。という事。
自分が大事名前を付けてあげたい。
そのことが今は大事だと思いました。
 
そして「海」という名前自体、この子にはとっても似合うと思っています。
とても気に入っています。この先この子がこの名前で苦労する事はない、自分の名前に愛着を持てるのでは?そういうことも考えて付けました。
 
そして、いつか生物の摂理から言えば娘より早く死んでしまうであろうこの愛するねこの海。
それは寂しい事だけど、嬉しいのはそんな「海」という名前を同じくらい大事な存在の娘の名前として、ずっと呼んでいかれる事が僕の何よりの幸せです。
 
がんばって産んでくれた妻と、がんばって産まれて来てくれた娘に感謝します。
これから長い間よろしくお願いします。
 
あ、あと、子育てがんばるので関係各位(さま)
 
【来年急募】育児休暇風仕事(暇)のあとの来年2月くらいから沢山仕事ください!←贅沢っ、来るわけない!
 
む、むすめに、み、ミルクを、か、買って、あ、あげたいの、で、で
 
おわり。
 
追伸…
最後の夜景の写真は陣痛前何かの前触れか
、夜中に妻の強引な誘い大強風の中行った、箱根十国峠から見た静岡三島の街並の信じられないくらい奇麗な夜景。
しばらくは夜にはいけないと思うし行ってよかった。


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# by umi-tora | 2014-12-06 09:15 | ひびのこと
ネパールのガディマイ祭の動物大虐殺
ネパールのガディマイ祭
http://www.arcj.org/animals/sacrifice/00/id=446

2日間で20万匹以上の動物が生け贄される祭り。
今年も行われとようとしているらしい。
もう文化なんて言い訳どうでもいい。
どうしてこんな
事をすると救われるって思うのだろう。
この心の弱さは人間の最大の悪だと思う。
この心の弱さが戦争も原発も楽したい気持ちも生みだしているのに。

豊かに幸せに生きたいなら目の前の現実を認め
自分を認めどんな事も他人のせいにせず、他の生き物を
苦しめないで生きる。
弱い心を人のせいにしたり他人任せにしたらダメだと思う。

こんな事がまかりとおるならそのうち誰かが原発は文化です。
放射能被害はは幸せの為の生け贄です。
なんて言い出しかねない。

しかしこんな酷い事は世界のどこかで起こっているという訳ではなく
スーパーに並ぶ為に肉にされてる動物達がされていることも
これとそう変わりはない。。。

自分もそれに加担してる楽をしたい人間の一部だし、肉だって食べない訳じゃ
ないけれど、可能な限り食べないようにしているつもり。
スーパーの虐げられて精肉されたものは買わず、きちんと育てられた
肉をほんの少しだけ食べるように自分は努力したい。

肉を食べるかどうかは人それぞれの価値観だけど、毎日肉が主食な人には
少しだけでも、週に一度だけでも減らす努力をしてほしいと思う。
それだけで家畜の環境や福祉は格段に向上すると言われている。
と殺場の職員もかなりの重労働で世の中からは差別を受ける事も
あるらしい過酷な仕事。

僕は生き物に感謝しながら食べなきゃ行けない。という価値観にとても違和感を感じる。子供の頃から刷り込まれられた意味の分からないものだと思う。
感謝すれば陰に隠れた生き物の過酷さは考えなくていいという解釈になってしまっているようにも思える。
生き物は私を食べて下さい。と身を投げ出しているわけでは到底ないことだし。
と殺場でも嫌がって嫌がって恐怖に震えながら殺されて行くのです。
自分だったら感謝なんてされなくて良いから殺すな。
って思う。ぜったいそう思う。

そんな大義名分がまかり通ってしまったら、戦争だって侵略される国に感謝すれば
どんな攻撃をしてもいい。
そんな価値観となにも変わらないようにも思えるし。
侵略される国は心の底から嫌がって怖がって抵抗し攻撃仕返し、それが戦争になって行く訳だし。

どんな経緯で目の前にある食べ物がそこにあるか、それに目を向ける事が何より大事な事だと思う。
日本人は特に世界を食べ尽くし
、世界を壊している張本人と言われている。
世界中に日本の為に農場を切り開き、そのために広大な面積の森林が切り開かれ、世界中から食べ物を輸入するので尋常ではないエネルギーを消費している。
そしてどんな国より食べ物を残し無駄にしている。
そんな国に生きているならどんな人種より高い意識をもたないと、と思う。

話がそれた…。
でも日々いつもこんな考えは意識したい。

とっても美味しくできた嫁さん作の肉もどき中華炒め。
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# by umi-tora | 2014-10-13 10:46 | たべもののこと
ヴィパッサナその2
初日に音声指導で聞いた衝撃の言葉は
「ヴィパッサナは心の手術です」
という言葉。

ヴィパッサナは魔法なんて何もなく、千本ノックのようにひたすら地道に自分の心をクリーニングしていくというもの。

ゴーダマさんが突き止めたのは、潜在意識に溜まったゴミの思考は必ず体の皮膚感覚として浮かび上がるという事。

そしてこの潜在意識にたまったゴミ思考(嫉妬や嫌悪、妬みや悪意など)が人間の苦悩を生み出す。
僕は心理学をずっと自分なりに勉強して来て潜在意識は自分でコントロールできない心のブラックボックスのような物の潜在意識との戦いを日々進めたいた。

人間はこの潜在意識に薄い膜のような健在意識をまとって生きています。
なので人間の行動のすべては潜在意識によって行われているのです。
生活をしていて、なんかこの色が好き、なんかこの人が好き、なんかこの場所が好き、なんかこのこの場が好き。
この「なんか」はすべて潜在意識にアクセスしている証拠です。

なので僕はヴィパッサナのこの合宿で潜在式をクリーニングすると指導説明を聞いて「これはいける」と思った!

心理カウンセリングでも大抵実際にワークと言われる体験に伴う潜在意識詮索をするのです。
代表的なのが自分の胸の辺りに現れる感情を言葉にして表現しそこあることを認めて行くという「フォーカシング」という心理療法。
だれでも恋をすると胸が苦しいとか、怖かったらどきどきするとか、必ず喉から胸、お腹にかけての感情を察知しているのです。
そのもっと細かい感情はいつでも毎分のようにエネルギーのように動いていて、そこに話しかけそのエネルギーを言葉して表現する事でその感情を癒して行く。
これはどんな心理療法でもベースになる考えだと思います。

なので2500年前にゴーダマさんがそれに気づくなんて、流石仏陀の中の仏陀、
KING of BUDDA!!
仏陀とは解脱し悟りを開いた人の総称として使われるけど、このゴーダマシッダルタさんは当時別格の仏陀だったらしい。
なので現在も仏陀の象徴としてあがめられています。

ヴィパッサナは4日目まではアーナーパーナー瞑想を教わり実践します。
これで顕在意識を吹っ飛ばし、潜在意識に光を当てるという事。
そして4日目からはヴィッパサナ瞑想で潜在意識のゴミ、指導では汚濁と言っていた。そしてひたすらヴィパッサナで瞑想し続け潜在意識をクリーニング。

体に表れる感覚をひたすら読み取る。それの繰り返しの瞑想。
最後は体中に電気が走るような衝撃があったけど、それも指導音声で
「いかなる体の感覚が現れても、現れなくてもそれに心を取り乱してはいけない
いつでも完璧な心の平静を目指しなさい」
「心地よい感覚を求め執着し、心地よい感覚がないと落胆し嫌悪し、そんな状態は
ヴィパッサナを修行してるとは到底言えません」
とたしなめられる。

あとは毎日の講話を聞き、ヴィパッサナの仕組みをわかりやすく読み聞かせてもらう。これはほんとうに面白くて興味深かった。

しかし瞑想をすると心がこれでもかと揺さぶられるのか、毎日毎回瞑想の度にとてつもない量の思考が目の前をうごめき、3日目にはやたらなハイテンションになっていきとても瞑想に集中できない状態に。
これは参加者ほぼ全員がそうだったと言っていた。

そして初日の講話でも
「今日は意識があちこち飛んで瞑想どころではなかったことでしょう」と。
すべてお見通し!
というかそういう心の仕組みなのだろう。

そして4日目に見事にすっとんと落ち込んだ。
アシスタント指導者(指導者は音声のゴエンカ氏。世界中で同じテクニックを指導する為にこの音声に寄る指導が間違いがないためだと思う)に落ち込んだ
というと、「そんな移ろいやすい自分の心に振り回されるなんてどうする、それは正しなさい」と諭される。
これはほんとつくづく心が痛かった。

そう、自分はいつでも何でも上がったり下がったり好かれたり嫌われたり無くしたり得たり、いろんな浮き沈みに対してどれも真っ向から考えてしまっていた。
これが何よりの苦悩のはじまりなのだ。

そして後は毎時間の苦行!苦痛との戦い!
苦痛に負けたのか、数人は途中で消えて行った。
自分も何度帰りたいと思ったかわからなかったけど、これで帰ったら一生後悔してひきずると思ったので、死にものぐるいでがんばった。

でも体験者で、特に女性はすごくよかったとか、何度も行く人やはまる人が多いと聞いていたけど、自分には考えられなかった最終日だった。けど帰って3日ほど経つと、いつかまたもしかしたら行くのかもしれない、そんな気持ちが芽生えだしてる。
それはその時考えるか

なので自分では意識をできない潜在意識の掃除をするというヴィパッサナ。
そりゃ心になにか変化があったなんて実感できない訳です。
ということで今後じわじわと効果が出て来るはず。
あとは一日朝と夜の1時間づつの瞑想を忘れなければもっと心の掃除は進んでいくでしょう。
帰って3日目やっと瞑想を再開する。

長い補足、乱文を読んでいただいてありがとうございます。
# by umi-tora | 2014-09-27 11:26



illustrator 宍戸竜二の日々のこと
by umi-tora
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